人間関係のこじれは承認欲求を前提としていないから?

人間関係のすべては承認欲求にある 。承認欲求とは、人から認められたい。承認されたい。という欲求。

僕は承認欲求の塊だったんだ。と思える発見がたくさんあったので、この機会にぜひ記していきたい。

人間関係のテクニックがなぜかうまく通用しない。めちゃくちゃ人間関係を学んでいるはずなのに、なぜか全然うまくいかない。

テクニックや人間関係の根本には、承認欲求があって、承認欲求を知りもしないで大事にし過ぎだったんです。僕自身も承認欲求がこじれて苦しんだりもしていたので、人間関係や自分の感情をコントロールできな人はぜひ読んでみてほしい。

最終的には、人間関係をうまくいかせるために必要なこと。人間として大切なんことを主として、この記事をまとめていきたいです。

なんで人間関係がうまくいかないのか?

人間関係がうまくいかない大きな原因は、「他人よりも自分の方が特別な存在である。」という言わずもがなの前提条件だと思う。それは、良い方も悪い方も含まれる。

つまり、注目されたい。注目されて当然だ。という認識から人の満足度が変化する。そして、誰しもが満たされていない時期や時間が存在する。

相手が調子に乗っていると、なんだか自分が下に感じる

調子に乗っている人間を見て、腹が立った経験はないか?調子に乗っている人は、自分の思い通りに振る舞うことで自分が一番偉い奴。と認識させたがる。

その結果、その振る舞いを受けた人はどう思う?王様みたいな態度がなんで鼻につく?

人間には上下関係があり、誰しも上になりたがってる

誰もが縄張りのボスになりたがっているのを忘れてはいない。大小は人それぞれだし、どういう人間として扱われるかも人それぞれだ。

だけど、根本には誰よりも優れていたい。という欲求が隠れているのを忘れてはいけない。

下になって可愛そうでしょ!もある

悲劇の私。かわいそうでたまらないでしょ。私以上に不幸な人はいる?つまり、これ以上に不幸な人間はいないんだということを知ってもらって、周りの人よりも不幸なことを伝える。

これをこじらせた人は何回か見たことがある。見ていて、非常に不快だったのを覚えている。

誰しもがそれなりに苦しい経験をしたことはあるだろう。その時の自分の苦しさが軽んじられるとなんだか話す気が失せたりしないだろうか?

つまり、人間関係には承認欲求が絡む

人と付き合っていくには承認欲求が必要だし、自分にとっても誰かと一緒にいるなら承認欲求が大事だ。

人が人とかかわるときには何らかの価値を求めているし、生きている意味を求めている。

人間関係には承認欲求が絡む

もともと承認欲求は誰しも持っているし、持っていないとしてもほしくなる時がある。さらに言えば、一度貰ってしまうと、次もまたほしくなる。

承認欲求って人の根本なんだと思います。承認欲求への否定も肯定も不要な気がします。ある前提で話しているし、ある前提で接していると思います。

理想と現実は?

承認欲求がある前提で話が進むのであれば、人間関係においての承認欲求で理想とされているのはどのような対応でしょうか。

全員で与え合えば、より良い方向に進むのか?それとも全員が気にしなければうまく進むのか?色々と考えてみましょう。

承認欲求の理想は?

承認欲求の理想というよりは、世界の理想としては誰も笑顔で毎日を過ごすことにあると思う。だけど、そんな世界には気持ち悪さも感じる。

幸せなことにもストレスを感じるからだろう。人は平準を望む。

誰しもが承認欲求を認め合い、満たされている前提での人間関係

「挨拶を無視しない。」「やってもらったことにはありがとうと伝える。」非常に簡単だが、これだけでも継続は難しい。

ちゃんと相手の存在を認めて、価値ある人間であるということを相手に与え続ける。

誰しもが承認欲求は不要と思って生きる

こっちの世界では、承認をしない世界だ。「挨拶はしなくても良い。」「やってもらったことにはありがとうと伝えなくて良い。」という欲求の話だ。

相手の承認欲求を満たさないのは非常に簡単だ。相手の存在を消してしまえば良い。

承認欲求の現実は?

残念ながら、どちらの価値観の人も入り乱れているのが現実。個人の価値観だからです。

承認欲求の現実

不要の人もいれば、必要の人もいる。さらに言えば、不要な時もあれば、必要な時もある。

現実は、非常に難しい。だからこそ、コミュニティーでは前提条件をできる限り明示する必要があるのではないか?

怒鳴り声をあげている人はいますか?

承認欲求を説明する場面でよく見かける例が怒鳴り声をあげてる人です。では、なんで怒鳴り声をあげているのでしょうか?ネットで検索してよく出てくるのは、周りの人に権威性を見せつけたいから。

本当にそうなんでしょうか?例えば怒鳴り声をあげている人の気持ちはどんな気持ちなんですか?周りのことを考えられないくらい怒りがこみ上げた?もしくは、生活の一部かのように怒鳴る人ですか?

例えばですが、上司を通さずに部下が判断したとしましょう。この時に本気で怒る人っていますか?この時は案外冷静な人が多いんじゃないでしょうか。(もちろん、面白くはないですが、クリティカルな問題ではないときに発生しがち。)

でもその後、叱責している最中あなたの話を無視したとしましょう。その時に感情がグンと高まりませんか?

あくまでも例ですが、本当に上司が怒るときは、上司を軽んじたときです

誰よりも強そうにしている人いますか?

自己顕示欲が溜まって誰よりも強いことを見せてる。でも、この時は誰のために見せつけているのでしょうか。

それは、顕示している自分を想像してやってるんでしょう

自分は理不尽な要求しても飲み込んでもらえる大物なんだ。となっているだけです。いわゆるそこら辺のクレーマーと大差ないですよね。

見返りを求めてはいけないというのは無理な話です

承認欲求が不足したり、承認欲求を求めてしまうのは全部その人が起因というわけじゃないと思います。

求められたときに、返してあげた。だけど、自分の時には求めているものじゃなかった。たったそれだけのことだけど、非常に大きな不満を生むものです。

見返りを求めてはいけない。とよく言いますが、人間が生きてきて歳を重ねれば重ねるほど無償の奉仕は難しくなる。むしろお金を払った方が安いことが多い。

承認欲求は目に見えないので、非常に難しい部分もあります。

相手の承認欲求を満すためにほめる

相手の承認欲求を満たす。人間関係と承認欲求を掛け合わせると必ずこんなことが出ています。

本当の意味は、あなたの承認欲求を満たしてほしいと思っていても先に進めないから、相手の承認欲求を満たせるように視点を変えないと良い方向に進められない。って話です。

承認欲求を満たすにはバランスが重要です。感情が高ぶっていると、自分を見て!となりがちです。自分を見てほしい!の一辺倒だと相手も疲れます。そして、相手を見てばかりいたら、自分が疲れます。

どちらも幸せじゃないので、バランスを保つ。白か黒じゃなくてグレーを見つける。のが現実でしょう。

変わることを強要する必要がないと思った

また、相手に変化を求めるのはどうなんでしょうか。誰かに影響が出ること以外はすべて放っておいた方が良いと思います。

これだけ多様な価値観が増え、インターネットが普及している現代においては、この地域の人の考え方はこう。みたいなのはもはや崩壊しているでしょう。

だからこそ、その価値観をあなたがまずは認める必要があります。そして、あなたなりに自分を変化させるんです。そして、変化させた部分を見てもらうのではなくて、あなたなりにどう変化させたら良いか考えてほしい。と伝えてみる必要があると思います。

誰かに指導をするときには変化してほしいと促す必要なかった

誰かへの指導に、変化は不要です。実際にどう感じるのかを相手と同じ行動や態度をとってあげれば良いのです。

ただし、こちらの価値観が正しいと思ってぶつかると強制力が働きます。なので、どう思うかを本当に聞いてください。

そして、目的とどのようにかい離しているかを伝えてあげてください。チーム目標を掲げていないのであれば、指導する側の問題でもあります。

どうなってほしい!を提示しないで、その場その場でその人を否定するなんて自分がやられてどう思います?

だから、問題点を一緒に考えて、答えも一緒に出してもらっていくようにしてみた

出現した問題に対して、一緒に考えるのが良いと思うんですが、先にスタンスは伝えておくべき。

この仕事はただでさえつまらない仕事だから、楽しい仕事に変化させたい!と伝えてあげるのが大切かな?と思います。

ほめることの本質は、感謝することだと思う

ほめることは、相手を評価することだと僕は思っていました。なので、上席や上長でなくてはいけない。と思っていました。

でも、本当にそうなんでしょうか。ほめるって評価してあげることしかできないんでしょうか。僕は、感謝することと塗り替えました。

やっぱり、いろいろな人がやってくれた良いことは、ほめるべきだし、みんなの前でほめるべきです。偉そうに見えるのかもしれませんが、感謝を述べるだけで良いと思うんです。

環境や置かれている状況をちゃんと見てあげる!

周りの人の環境や状況を見ずに、結果だけで物事を伝えることはできます。小学生でも。インターネットの批評家たちも誰でもできるでしょう。

あなたは、そういった類の人になってはいけません。近くにいるんだからこそ、相手の環境や置かれている状況をちゃんと見てあげましょう。

じゃないと、あなたもそういう扱いをされたら腹が立ちませんか?

人間であることはお互いに理解するべき

こんなことを言っていますが、僕は失敗ばかりです。理解している。と実行できる。には違いがあります。

人間は感情の生き物です。感情が高ぶりすぎて物事がうまく回らなくなりました。なんてことはたくさんあるじゃないですか。だから、気にするべきではないと思います。

お互いさまで、努力を重ねていく過程で、もめてしまったり絆を深めたりいろいろなことが起きる。それで良い。と思うしかないですよね。

まとめ

僕なりの承認欲求のまとめを考えてみたいと思います。承認欲求は今後もなくならないだろうし、承認欲求があるから争いが起きて、承認欲求があるから誰かと一緒にいるんです。

だから、承認欲求をなくす必要はないのではないか?と思います。集団行動ができて、共通の目標をもって、理性で行動するように感情の人間が頑張ったから現代がある。と僕は思います。

承認欲求は不要であろうと、必要であろうと個人の考えなので否定はできない

まとめでは、必要だと述べたが、僕の考えであってあなたの考え方はなんでも構いません。賛同していただけたのであれば、SNSなんかでシェアしてくれたらうれしく思います。

基本的に渡すのは無料だし、自分が動けばできること

相手に依存しないためにすごい大事なのが、自分ができることまで落とし込むことです。けんかになっても、なんでもっとこうしてくれないのだろう?って思ったとしても意味がないです。

あなたがそうしてほしいと思ったなら、あなたがそうすれば良いと思います。あなたが他人に依存している時間に自分に課題をもって取り組んでいる人はどんどん先へ進みます。

自分が上の立場なら配った方が良い

これは、絶対です。お金でカバーできる範囲なんてたかが知れてます。つらい時こそコミュニケーションが第一。閉鎖的な空間にするくらいなら、ちゃんと周りの人たちに配る。

そして、強要するようなやり方は絶対にしない。結局それも相手に変化を求めることにつながるから。

みんなはどうでも良くて、自分のスタンスは配る!が楽だし、楽しい!

あなたがどうしたいかにすべてがかかっている。僕は配ることを決めた。だから、常にありがとうの気持ちをいろいろな人に伝えるようにする。

配ると決めたら簡単です。多角的に見るのを自分に強制できます。そしたら、捉えるのはどうであっても自由なので、僕は幸せになれます。

あなたもあなたが幸せになる工夫をして、人間関係に悩まないようにしませんか?