自分の人生が無駄なんじゃないか?人生の意味は何なんだ?自分に価値があるのか?悩みが不安に変わり押しつぶされそうになっている。
なんかよくわからないけど今不安だ。自分の人生に価値はあるのか?意味はあるのか?と悩む。
自分では抱えきれなくなるくらい不確定な未来に怯えてしまうのは、変なことじゃないし、改善しようともがいている証拠の一つとも考えられる。
もしくは逆も考えられる。動かなきゃいけないのに、動けない。よくわからないまま、やる気が出ない。
立派な人間になりたい。自分の人生は他人よりも優れていたい。でも、現実はそううまくはいかず、人が当たり前にできることもできない人間でつらい。
2つのことを忘れないでほしい。
意味なんて必要なく親からバトンを渡されてる
すでにあなたは誰かの価値ある人生なんだ
でも思うじゃないですか?オンリーワンかつナンバーワンの人生になりたい。って・・・後世まで語られる秀でた存在であったと認められたいじゃないですか。
だから、あほみたいに長いスターウォーズに興奮したり、アベンジャーズのような特殊能力を持っているストーリーに引き込まれたりしませんか?実生活として考えると不便であったり、大変さがありながらもその世界の良さを提示されたときに求めている承認であったりしませんか?
オンリーワンかつナンバーワンの人生以外は無駄な人生って思ってしまうのが続いていた僕のうまくいかないながらに、考えた人生の意味や価値についてを備忘録として書き記す。
人生は無意味であり、無価値で問題ない!
人生は無意味で無価値だとなんだか悔しいですよね。でも、人生の意味や価値は誰が決めるんでしょうか。
また、あなたが無意味で無価値なのが悪いと思っているなら、どうして悪いのかを具体的に書き出してみましょう。
あなたの人生に意味はない
くどいですが人生において意味を求められても答えられないと思う。そもそもの話になるが、意味を付けるのは自分だ。
生まれるときに経営者として挑戦して、社会に貢献できるように努力を積み重ねてほしい。と言われて産み落とされた人はいない。
だから、人間が始まるとき(生まれた時)から意味を与えられている人はいない。期待はあるかもしれないが、意味まで明確なものはない。
そもそも人生に意味なんて与えられずに生まれてきた。今更意味がないといけないみたいな後出しじゃんけんに今悩まされてるわけだし。
あなたの人生の価値はすでにある
他者から認められたいと思っているのであれば、すでに親からもらっている。たとえあなたの親があなたの望む承認をくれなかったとしても、何も感じていない親はいない。
間違えてしまった親や間違えている親もいるだろう。しかし、その人たちなりの価値観であなたに価値を与えている。
その与えられた価値に納得がいかないのであれば、勝ち取らなくてはいけないのを同時に認識しなくてはいけない。戦う気力がないのならば、受け入れるしかない。
あなたは誰からか必要とされている。今はいなくても必ず見つかる。あなたが見つけようとし続ければ。
人生の意味や価値を考えているのが哲学
哲学って言葉のイメージが不一致だとこの先の話がしっくりこないと思うので、哲学の意味を合わせておきたい。
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。
つまり、あなたの人生について考えを求めているのは、古代の人間。哲学の祖と言われているソクラテスの古代ギリシアの時代からあるんだ。
何千年も前からそういった悩みを抱えているのが人間
知識は今の人間の方が圧倒的にあるだろう。しかも正しい答えが。地球は青いことを知っている。子どもですら。
だけど、古代の人たちもただ生きていたわけじゃなかった。時代によって露出する悩みや労働に違いはあるかもしれない。
古代から現代まで根底にある悩みはみんな同じなのかもしれない。
時代に応じて価値観は徐々に変わっている
時代によって価値観が違うから、昔の人の答えが僕たちの答えになることはまずない。つまり、僕たちの時代に合わせた加工が必要になる。
僕たちは幸いなことに、日本に生まれた。そして、幸いなことに携帯電話がここまで発達し、必要な時に必要な情報を集めることができる時代になった。
昔なら哲学とは何か?と思っても、図書館まで行って何千文字と羅列される本の中から1ページずつ検索しなくてはいけなかった。
僕らは今、機械がやってくれることが多く。知識の差がほとんどない時代になった。
感情の人間が理性を求めるのが哲学
人間の決断には理性よりも感情が多く関係しているのは、体感で知っているだろう。しかし、感情に負けそうなときに活躍する理性で人類は発展してきた。
自分の納得できる承認が欲しい
人生の意味や価値について考えるのは良いが、悩む必要はないと思う。
悩んでいるときの大体の原因は、望む承認が得られていないことが多い。
そして、望む承認も何か分かってないことが多い。自分が楽になるためにも欲しい承認だけは明確にしておいたほうが良い。
僕の哲学は、「選択できる人生にする」
選択できる人生って普段選んでるでしょ?って思うかもしれないけど、あなたは朝起きてから夜寝るまでどれだけ選択していますか?
選択できるタイミングって決断よりも結構前にあるのに気づいた
朝寝坊したとしよう。そしたら、ご飯を抜きますか?髪のセットを抜きますか?どちらか抜かないと確実に間に合いません。
この選択に疑問を持ったんです。
昨日の夜、寝る時間の選択を間違えたから”その選択”を迫られている
そもそも、朝寝坊する可能性を高めた選択は昨日の夜寝る時間の選択だ。つまり、朝のご飯を抜くか、髪のセットを抜くかの選択は、すでに寝る時間を選択したときに迫られていた。
でもね。そもそも朝寝坊って1日くらい遅く寝たからって寝坊するんだっけ?
睡眠負債が溜まっていたのか?もしくは夜遅くまで起きすぎたのか?いろいろとあるが、その時点でご飯を抜きますか?髪のセットを抜きますか?の選択をしているんじゃないですか?
人生の選択肢は無数にあるのに、ない!と言い切る自分
ないと答えて得なのは誰なんだ?自分ではない。
誰の人生なんだ?とはいえ、選択できるタイミングを見誤ってるからこんな答えが出てくるんだ。
あのときああしておけばよかった。って思ったことがない人はいない。あのとき、ちゃんと話を聞いていれば…
とはいえ、どれだけ気をつけても今後もああしておけばよかった!と思うことは出てくる。反省をして、次に明るくつなげるのが大事。
意味ある人生は自分で意味を作っていく必要がある
人生の意味や価値にいちいちテンションを下げなくても良いと思う。
なぜならば、意味はもともと与えられておらず、価値は生きてくうえで周りの人から与えられている。
人生に意味をもたせるのは自分
一番伝えたいのは、自分の人生を楽しくするのも辛くするのも全て自分です。
目標を持って取り組んでも良いし、持たないで何もしなくても良い。
すべての決定権は自分にある。だから、自分にとってより良いことをする。ただそれだけです。
人任せのツケは結構大きい
肝心なところで人任せになってはいけない。自分の人生だ。目標達成には自分が行動しないとおかしい。
目標は立てましたので、誰か動いてください。はダメ。
そのときに重要なのはテンションだ。
自分のテンションをコントロールできる賢さ
テンションが勝手に上がるのは若さだ。テンションを自分でコントロールするのが賢さだと思う。
どう感じるのか?どう捉えるのか?をより良くしたいなら、テンションは自分で保つ必要がある。
寝不足のときに人の親切がうるさく感じたことはないだろうか?
テンションが低いときは、良い方向に考えるエネルギーを使おうとしない。それなら、起きてない方がまだマシだ。
行動しないは馬鹿野郎
目標は掲げるだけで終わっては意味がない。僕も選択できる人生を送るために、面倒ではあるが最善の方法を考えるように努力している。
つまり、選択できる人生を送るには、考えるということは必要不可欠だ。と思ったので、考えるということについて考えた。
そこで出た結論。考えるためには、アウトプットが必要だ!
人に教えた時に本当の理解度がわかる
人に何かを教えた経験は何かしらあるだろう。友達に勉強を教えたり、会社で研修をした経験はあるだろうか?
人に教える準備をしていると、体系的に書き出してみたりして、あれ?ここってなんだっけ?とわかっていないところを発見できた。
または、人に教えているときに自分とは違う視点の質問が上がり、確かに疑問だ。と思ったり。
勉強するよりも教えた方が勉強できる。不思議なもんだが、そういうこと。
アウトプットは客観視の始まり
アウトプットのときに理解が深まるんです。アウトプットしたものは多角的に見れるんですが、頭の中にだけ置いておくと、客観視し辛いです。
なので、僕はとにかくアウトプットにこだわってます。
ノートは用途別で3冊持ち歩き、家と職場には据え置きのノートが用途別に更に2冊。
そうした方が良いと思ってるのにやらないのって損してない?
こんな話をして、やるぞ!とか思っても3日と持たずにやめてしまう人がいる。やめたことも忘れてしまう人がいる。
まずは、自分の大切な人生。自分で評価して、自分が納得できる人生にしていけるように動くべきだ。
今、できていなくても良い。今後できるようになるように、今努力するんだ。僕が働き始めた時のクライアントの次長からもらった言葉に、「今悔やむな。5年前の自分を悔め。」と言われました。
やる気に頼るな!今すぐ環境を変える
僕が徹底していることは、人が悪いのではなくて、仕組みが悪い。です。
ノートを持ち歩くのは、その場ですぐにメモができるようにです。人が行動を起こせない原因をいつまでもやる気のせいにしてはいけません。
仕組みが継続しづらいんです。仕組みに対して対応をするのと、人間(自分や他人)に対して対応をするのとでは感情の出かたが違います。
人間が相手だと、なんで何度言ってもできないんだ!!!と感情的になりがち。違うんです。トライアンドエラーであり、人間のやる気を何かを継続する当てにする気など毛頭ないんです。
やる気の本当の使い方
やる気を日々のルーチンに使うのはもったいなさ過ぎます。やる気の本当の使いみちは、「何かを始めるとき」に使うように意識してください。
そして、始めたものは次に取り掛かりやすいようにしておくように意識します。
継続なんて誰もが苦手です。効果があったら継続しよう。なんて思わないほうが良いです。
効果検証できるほど継続できるなら、継続力は相当ある方です。努力はすぐに報われません。その中で努力をし続けるんです。
さらには、疲れてきて80%の努力で動くのに慣れてしまう。次第に、その80%で動くのが習慣となり、80%だったはずの努力が100%にすり替わる可能性なんかもあります
壮大なことじゃないにしても、それなりのプランニングが必要だ。5年後の自分に全力で投資していこう。
最後に睡眠足りてます?
マイナス思考過ぎたり、人生に絶望しているなら睡眠が足りてない可能性も頭に入れもらいたい。
人生の意味について考えることはあっても、考えすぎない方が良い。
今までの賢者が一生かけて考えてること。その賢者から手ほどきを受けてもなお、人間の明確な意味にたどり着けていない。
それなのになぜ、みんな健康なの?の答えは、今に満足してるからだ。
そして、精神状態を健康に保ってる。僕も寝る間を惜しんで仕事していた時期がある。それに耐久できる体があるなら良いが、違うなら休息にこだわってほしい。
動くために休む。ただ遊ぶのではない。どういうリフレッシュが次の日の活力になるのか。真剣に向き合う必要がある。
ちなみに僕は耐久できずにぶっ倒れました。
自分を大切にするのが一番大事
大事にしましょう。なかなかうまく行かないことも多いでしょう。うまく行かないことが多い中で、うまく行かなかったことばかり覚えてるでしょう。
人間だからそれで良いと思う。ネガティブだから繁栄してきたんです。水辺にはワニがいるかもしれない。だから近づくときには注意して近寄り命を繋いできたんです。
徐々に自分なりの仕組みを作って、アウトプットして、自分にとってより良い人生になるかを考えながら生きていけば大事なものや共感してもらえるものが出来上がってると思います。