説教しているのは誰のため?

人を教育する。この人にはこうなってほしい!と思い立って、さぁ~やろう!と努力していくと、自己満足なのか?相手のためなのか?を迷ってしまうときがあります。

説教だけど、その説教の先には何があるんでしょうか?
自己満足だと、おせっかいな人になりそう。だけど、教えを説くのが説教であり、自分なりにいろいろな人と話してきた感じからすると「教えてもらえるありがたさは徐々に薄れる」ってのが本音であり、事実ではないでしょうか。

正論って痛い・・・

僕自身も正論を振りかざし、正義であるかの如く、人を鋭い言葉のナイフで斬り捨て御免。

いや、許さんし!!

今回は、いろいろな人と会話している中で、一番自分なりの悪癖である「説教」についていろいろと考えました。

自分なりの結論は、「相手とのすり合わせ」が一番大事だと・・・思う・・・

正直、正解なんてわからない。

そう。それが僕の一番の悩みであり、この記事を書くか書かないかについても悩んだ。

ただ、答えの出ている問題だけじゃなくて、コメントでみんなと議論を深めるのも面白いんじゃないかなぁ?って思うんです。

一応、説教の言葉の意味をとらえるために、説教とは!

説教とは

宗教の教えを説き聞かせて導くこと。堅苦しい教訓・忠告。

となっている。

何が正しいかなんてわからない

自分で言わせるのが一番良いと言われている。人として一線を引くべきなんだろうが、教えているとついつい「あれもこれも」伝えたくなって・・・

グッとこらえた方が良い場面ってたくさんあると思うんだよね。

正論 ≠ 相手の成長

正論は相手を傷つけるし、相手のプライドを傷つける。

ここで、一つ覚えておかなくてはいけないことがある。

プライドを捨てるべきだ!と言ってい良いのは、説教を受ける側であって、説教をする側は、相手のプライドを尊重すべきだ。という点だ。

正直、人間だから全部うまくいくわけじゃないけど、「お互いに人間」であることを忘れてはいけない。

相手の成長を急がせないのが一番良いと思う

自分を思い出すと簡単だが、成長は焦ってるもんだ。

早くあのレベルに上りたい。もっと早く頑張りたい。

そう思ってる奴にじゃないと説教なんてしたくもない。

今後の自分としての課題は?

今後の課題としては、相手に伸ばしたいところを気づいてもらって自分で言わせる。

気づかせる技術

何が足りのか?ってのは、非常に難しい。

気づかせるFBってあるよなぁ~。って思いながら、日々どうすれば良いのか?を検討している最中です。

言ってもらえる技術

言ってもらえるのは、信頼関係の構築は大きいのかなぁ?って思う。

気づかせる技術と言ってもらえる技術を磨いていきたいなぁ~って思っている。

最後に、良いところを見つける技術

やっぱり最後はここに限るかなぁ~って思うですよね。

相手に、改善に取り組んでみたい!と思わせるのは正論ではないと思います。

相手の得意じゃないところだからこそ、相手の得意なところをちゃんと見て、得意なところから出てくるデメリットなのか?とか、検討する材料として必ず必要だと思う。

ちゃんと相手と向き合ってるのか?ちゃんと相手のことを好きで言えてるのか?ここは守っておかなきゃいけない人としての大事な部分だと思います。